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2021.04.16

目指せ!自由なオトナ女子 de ブラジル by セニョーラプリマベーラ(岩井真理)Vol.13 予定外の出来事だらけの一年を振り返って

目指せ!自由なオトナ女子 de ブラジル by セニョーラプリマベーラ(岩井真理)

Vol.13 予定外の出来事だらけの一年を振り返って

転機は突然やってくる!起こった出来事、起こらなかった出来事。そして、この先は?

 ついに、カーニバル休暇です!

イースターと連動しているキリスト教のお休みなので、毎年日付が変動し、今年は2月第二週の週末から、翌週水曜日(灰の水曜日)までが休日となりました。クリスマスから始まるこのホリデーシーズンは、本来ブラジル人がみんなウキウキする季節です。
 
しかし、今年は違います。
思いの外長引くパンデミックに、どこかひっそり、なんとなく盛り上がりません、陽気がモットーのブラジル人でさえも、テンション低めです。
「カーニバル」と言うと、日本ではリオのサンバが有名ですが、実はこの時期、各地で趣向を凝らした伝統的お祭りが各々催されます。帰省して地元のお祭りに参加したり、長い休暇を利用して真夏のビーチへ繰り出すのがブラジル人の一番の楽しみなので、がっかりは当然です。
当初、7月に延期になったリオデジャネイロのパレードも、結局は中止になりました。7月にパレードすること自体、日本で真冬に花火を打ち上げるようなもの、という違和感はありました。そして、それすら中止にせざるを得ない状況は、命の次に大切なカーニバルを、命を守るために諦めた、ということです。
 
去年のリオのカーニバル
 
企業によっては、昨年来、振替休日やらリモートワークで思ったようにはかどらない業務を取り戻すために、休暇返上となった所もあります。逆に製造業などでは、コロナで部品の調達が間に合わず、この休暇に絡めて長めに工場をストップさせている所もあります。
州ごとに高齢者から順番にワクチンを打ち始めたものの、手際の悪い運営に騒ぎ出す人々や、計画的なオペレーションが取れず、ワクチンが不足し、一時中止になると言った事態も起きています。相変わらず、ブラジル国内は大混乱です。
 
思い起こせば、一年前のカーニバル休暇が終わった翌日、ブラジルではコロナ感染者第一号が出ました。それからあれよあれよと増え、アメリカに次ぐ世界第二位の感染国ブラジルになりました。
当時、多くはサンパウロ州に集中していたことから、3/20に州知事は、サンパウロ州及びサンパウロ市に災害事態(Estado de Calamidade Publica)を宣言しました。その後やや遅れ気味でブラジル政府が政令を発表しました。
サンパウロ州の対応の方が早くて敏感でしたから、私の周りは短期間ですっかり空気が変わりました。生活が制限されそうだなぁ~と思っていた矢先、3/22に政府は,全土が共同体感染状態(transmissao comunitaria)である旨を宣言する政令を発表し、ブラジル全土がパンデミックに覆われたのです。以来、実に365日の自粛期間(Quarenta)を超えました。
自粛中の街の様子
 
発令後、私たち外国人、特に駐在員とその家族にとっては、落ち着かない日々が続きました。ブラジルに留まるのか、日本へ避難帰国するのか、という悩まし選択です。
私のいるカンピーナスには、帯同家族は25組ほどいました。駐在員の数が少ない企業の方がアクションは早く、3月末にブラジルを離れた母子を皮切りに、続々と帰国が続きました。駐在員も一緒に帰国されるところ、家族だけのところと、それぞれの企業で判断は異なりました。
 
大所帯の当社は、なかなか指示が出なかったので、自分達はどうなるのか?と不安にを口にする人も出てきました。特に、小さなお子さんのいるお家では、飛行機が飛んでいるうちにブラジルを脱出したいと、強く言う人も出てきました。
結果、組合員とその家族だけが、まず日本へ避難することになりました。グループに分かれて、帰国便の予約がとられました。出発まで1週間しかなかったので、取るものもとりあえず、戻れる保証もないまま、みんな出発していきました。
が、夫の職務上、私は残留が決まりました。みんなをを見送った後、4月中旬には、ここは数人の駐妻のみになりました。
 
社会的孤立(Isolamento Social)、隔離生活が始まりました。エッセンシャルショップ以外は、本当に閉まりました。ブラジルが、秋から冬に向かう中、ポルトガル語のレッスンもオンラインに切り替わりました。
 
北半球が暑い夏になっても、状況は収まりませんでした。私も、家の中でほとんどの時間を過ごす日々が続きました。元々、オンラインを使ったボランティア活動などをしていましたが、その頻度が激増しました。誰かと繋がっていたい、元気付けたい気持ちもあって、自分でもイベントをして、発信する機会も増えました。元来、ITのスキルがイマイチな私ですが、コロナのお陰で、少しずつ鍛えられました。
 
お気に入りのカフェもテイクアウトだけの営業になりましたが、他に行くところもないので、毎日欠かさず買いに行きました。ここでも、怪我の功名、店員さん達とすごく仲良くなりました。しかし、街の中を歩く人はまばらで、本当にひっそりとして来ました。閉鎖になる店やつぶれていく店が 目立って来たのも、この頃です。
パンのデリバリー
 
当時、唯一の楽しみは、週に二回の焼きたてパンが届くことでした。日頃より日本人妻と仲良くしている日系ブラジル人のお友達が焼いてくれます。メロンパンやクリームパン、カレーパンといった日本の菓子パンや、ブラジルでも人気のあるハムやチーズをふんだんに使ったものまで、だいたい3種類くらいを毎回焼いてくれます。その日のリストから好きなのを注文すると、車でアパートまで届けてくれます。一年を振り返っても、このパンにずいぶん救われた気がします。
 
9月には、私と一緒にこの地区に残っていた方のご主人が、アメリカへのスライド異動となりました。一旦日本へ戻り、ご主人が先にアメリカ入国し、そのあとビザが取れた次第奥様も動くということでした。彼女とは、同じ時期にブラジルへ来た仲なので、私は勝手に、置いてきぼり感を感じました。自粛期間に入ってから、直接会えるわけではありませんでしたが、同じ場所に誰かいるのといないのでは、心細さが違います。
この時点で、私はカンピーナスにいる「たった一人の駐妻」になりました。一人ぼっちの私に、ポルトガル語の先生は、representação pública japanese(公式日本代表)を名乗るように、と言ってくれました。代表って、もう同じ立場の人は私しかいないし、結構、こたえました。このじわじわとした感じ、今思い出しても切ないです。
空港の夜景
 
秋になって、駐在員の方々は少しずつブラジルへ戻ってきました。ブラジルのコロナの状況が良くなったわけではありません。日本と赴任国との租税条約、183日ルールのためです。
家族は、ブラジルの状況を勘案して後日タイミングを見て、と言うことになりました。その一方で、このタイミングで、帯同を解消し単身赴任に切り替えたご家庭もたくさんいます。きちんとお別れ出来なかったことが悔やまれます。
年末年始に、数人の駐妻が戻ってけれど、相変わらず会社からの許可が下りず、未だに戻れない家族がいることも事実です。
 
クリスマスも、年末年始も、旅行をすることはできませんでした。どこにコロナウィルスか潜んでいるかわからないからです。十分気をつけて、一時帰国した単身者や、旅行に行った人の中にも、結局感染してしまったという話も聞きます。それくらい、コロナは私達の近くまで来ているのです。
ブラジルの料理
 
今、振り返ると、この一年で私達駐妻も、思わぬ運命をたどったことになります。今、ここには5人の駐妻しかいません。その上、気軽に会うことはままならず、支えあい励ましあいながら、交流していたのは、遠い昔のような気さえします。
 
2/22より、カンピーナスはフェイズ3/黄色(緩和段階)となりました。このフェーズでは、レストランなどの収容率は40%を上限とし、スポーツジム、美容院、映画館の営業も認められます。レストランについては1日10時間、その他は1日12時間の営業時間が認められますが、対面での営業は22時まで、バールの営業時間は20時までです。
同じサンパウロ州でも、フェイズ1/赤(最大限の警戒)の市もあり、まだまだ緊張は続きます。あ、この原稿を書いている最中に、我が街カンビーナスも夜21時から翌朝5時までフェイズ1/赤になりました。コロナ患者を受け入れる病院が満床になりつつあります。ああ、絶対、感染してはいけない状況です。そして、3/11にはさらに厳しい制限措置へと移行し、テイクアウトなども出来なくなりました。予想外です。
本帰国に向けて
 
そんな中、「辞令」が出ました。3月に、我が家は日本へ本帰国します。コロナ騒ぎで、ちょっと忘れかけては本帰国は、このタイミングで突然やって来ました。
結局、物事は予定通りには進まないものです。予想もしなかったことが起こったり(イベント)、逆に予定していたことが起こらなかったり(ノンイベント)と、自分でコントロールは出来ません。キャリアの権威シュロスバーグ先生が唱えた理論では、起こったことも起こらなかったことも、結果、その人の人生や生活に変化をもたらせば、それは「転機」となるのです。
まさに、この一年は「転機」の繰り返しでした。一昨年までは、南米をくまなく旅行することを想像してましたが、そればノンイベントとなり、在宅ワークで少しITリテラシーがはあがったというイベント。この一年を過ごした日常から、静かに帰国すると言う、転機となりました。
ブラジルに対する名残惜しさ満載ですが。
 
と、いうわけで、「目指せ!自由なオトナ女子 de 
ブラジル」も、これにて一旦卒業となります。これまで、お読みいただき本当に有り難うございました。ここで発信してきたブラジル情報や、生活•暮らしに関するお話は、まだまだ続けて行きたいので、またどこか別の機会に、皆様のお目に留まることを楽しみにしております。
obrigada pelo tudo.(すべてに感謝します)
カンピーナスの風景

 

 

*「世界ウーマン」掲載中
https://www.sekaiwoman.com/columns/bom-brasil/